ぽんひろの日記

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パニック障害克服記「途中下車」を読んで②分析、感想編

前回の続きで、北村さんはなぜパニック障害を乗り越えられたのか私なりに分析しました。感想も書いてます。

 

①北村さんとカウンセラーとの出会い。

カウンセラーに「確実に治る」と伝えられ、「パニック障害は治る」との認識を持てたこと。不安障害などで悩む方は自分の病気が治るのか確信を持っていません。治ると頭でわかっていても、信頼できる専門家にこう言われるだけで行動する勇気が湧いてきます。

また地下鉄や新幹線で不安に襲われ、不安を感じずに行動できる範囲が狭まることを心配していた北村さん。それに対しカウンセラーは「症状が良くなっている兆し」と返答した。なぜ不安に襲われるのに、良くなっている兆しなのか。

このブログの読者様ならわかるかもしれませんが、不安に襲われるということは行動しているからです。行動しなかったらパニックにならず、引きこもってしまいこの病気は治らないと私は思っています。そこを逆手にとって、パニックになることで自分の症状やその状況を理解できるようになります。

 

以前このブログでも書きましたが、パニックになった状況を記録することで不安は一生増え続けることはなく、ピークを境に減少するというのもわかってきます。不安がピークに達したら何分くらいで発作がおさまり、その際にどうやったら落ち着けるかもわかってきます。著者の北村さんの場合は新幹線に乗るときに、ご当地の駅弁を座席に着いて食べることで落ち着いていたと書いてます。

 

不安に襲われることは良くなっていくための過程なのです。ただし注意が必要で、行動も無理は禁物。当書にも書かれていますが、パニックになるような状況に追い込む「挑戦」を毎日するのは負荷がかかりすぎるので、筋トレと同じように少し辛いと思うようなことをできる範囲で行うのがいいと思いました。

本の話から脱線してきた。。。

 

 

②息子の存在。「誰かのために」感覚

日本各地を息子さんと旅した北村さん。6歳の息子さん(当時)は新幹線や電車に乗っている父親の挙動がおかしくなるのに気づき、移動中心配する場面も。雑誌の編集長を辞めるまで仕事しかせず、息子さんは北村さんに懐いていなかった。旅行を重ねるうちに、美味しい食事に舌鼓を打ったり、壮大な景色を見たりすることで二人の距離が近くなる。「今度は息子をこんなところに連れて行こう」と思い、新幹線などの移動を辛い時間ではなく前向きに捉えられるようになったのだと勝手に思っています。

 

③奥さんの度量

会社を辞めて無職になった北村さんに100万円で旅することを許可した奥さん。自分が家計を支える覚悟があったのでしょうが、パートナーが病気とはいえ自分も不安だったろうにそれを支える芯の強さに感動しました。しかし当書に書かれている現実は思ったより厳しく、奥さんの稼ぎだけだと保育園の延長保育料6000円が口座から落ちなかった話が出てきます。それ以降北村さんは公演の仕事を増やすなどしますが、それが元の木阿弥になってしまい、子どもの送り迎えなどに支障をきたしたそう。経済的安定なくして生活が成り立たない厳しい現実がありますね。他山の石。

 

 

当書の最後に出てくるハートウォーミングなエピソードを一つ紹介。

小学校に入学した北村さんの息子さんが突然「今日学校に行かない」と涙ながら言い出した。給食に出てくる味噌汁が嫌いで飲めないから行きたくないらしい。残すと先生に叱られ、友達に弱みを見せるのも嫌。そこで北村さんは「給食前の4時間目の授業後に、親戚の不幸があったと迎えに行く。今日は給食を食べなくていい」と息子さんと約束。ただ、嘘をつくのは今回だけで、毎晩北村さんが美味しいお味噌汁を作り、次に給食で味噌汁が出るまでに食べられるようにする約束もした。度重なる旅行で食に関して息子さんは北村さんを信頼していたからできた約束。

北村さんはその日から試行錯誤して色々な味の味噌汁を作った。八丁味噌を溶いて作った汁を湯豆腐にかけ、ゆずを添えたもの。薩摩黒豚のバラ肉を使った豚汁。下仁田ネギをとろとろに温め、こうじ味噌仕立ての味噌汁。鯛に葛粉をまぶし、油で揚げ白味噌で味付けした汁にこれと白髪ねぎを入れる。

このような手間かかった愛情たっぷりの味噌汁を飲んでいたら息子さんも味噌汁を美味しく食べられるようになり、給食の味噌汁も飲めるようになった。

 

 

いかがでしたでしょうか。2回に渡り読んで頂きありがとうございました。

うまくまとまりませんでしたが、「途中下車」を是非いろんな人に読んでほしいと思いました。ブログに書ききれなかった所に感動する話が出てくるので興味あったら読んでみてください。

パニック障害は克服するというより行動してたら「忘れてた」という感覚の方があってるようです。また最後の味噌汁のエピソードのように「自分のため」ではなく「誰かのために」なら人間意外と色んなことを達成してしまうとも思えました。

パニック障害で仕事を辞めたが、息子さんとの距離が近くなり、奥さんと協力して家事をする余裕が持てるようになった北村さん。きっとこの病気にならなかったら、北村さんは雑誌の編集長を続け、味噌汁を調理することなどなかったと思います。病気を通じて成長されている北村さんの本を読んで非常に勇気をもらいました。いつか北村さんのように私も誰かに勇気を与えられるよう今できることを積み上げていきたいと思える本でした。

 

では。