Part4
その知らせは急に届いた。
役員面接を翌週に控えた3月中旬のある日。
母方の祖母(92)の具合が悪いという悲報が母から入った。
「一回の食事ではミキサーでドロドロにした物をスプーン2、3杯しか食べられなくなった」
「水も1日200〜300ccしか飲めず」
右半身は麻痺していたものの、2月には退院するレベルに回復していたため病院から老健に移っていた。
「 会える時に会いに行こう」と思い趣味のフットサルを休み、家族で祖母のもとを訪れることになった。
感染リスクの高い高齢者が集まる老健は感染防止対策を徹底していた。
私たちは老健に入った後、検温、手洗い、消毒を済ませた。
他の入居者に接触しないよう、一度外に出て、通常時は封鎖されている鎖を外して非常用の外階段で2階まで上った。
祖母のいる部屋のベランダまで歩いた。
当初施設の方にベランダから窓越しの面会をお願いされていたが、この日はベランダから祖母の部屋に入ることを許された。部屋に入るのは2人ずつで交代制だった。
施設の方に渡された手袋をつけて部屋に入った。
祖母は入浴後で西日を浴びながら寝息をスースーとたてて眠っていた。
気持ちが良さそうだったが、痩せ細った腕や肩を見て面食らった。
ここまで弱っているとは想像していなかった。
声を掛けようとしたが思いが言葉にならない。
何より寝てる人を起こすのも気が引けた。
「ばあちゃん、来たよ」
一緒に部屋に入った兄が呼びかけるも、すやすや眠る祖母。
こういう時に躊躇なく声をかけられる兄は心強かった。
私は涙を堪えるのに必死だった。
祖母との別れは近い。
目の前で眠っている祖母がいるのにそんなことを思ってしまった。
施設の方が窓越しの面会ではなく、部屋に入ることを許したのはそのためだったのだろうか。
面会中、私は結局何も言うことができなかった。
軽く祖母の手を握り、顔を近付けただけ。
施設の方に写真を撮ってもらい、面会は終わった。
翌週、姉や他の親戚なども面会予定だったが、それは叶わなかった。
私たちが訪れた2日後の3月16日、祖母は他界した。
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祖母が亡くなった後、母や叔母の雑務を可能な限り手伝いたかったため、少し仕事を外れることをクライアントに伝え、了承してもらった。
初めて✳︎「湯灌(ゆかん)」にも立ち会った。
葬儀、通夜の予定が決まり、幸いにも役員面接とは被らなかった。
湯灌の2日後の朝、Google Meetを繋げ役員面接に臨んだ。
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次回、Part5 火葬場で合否判明
いよいよ佳境。役員面接の結果は?
これを書いている前日の4月24日が祖母の四十九日でした。
このブログを書くことでさらに祖母に想いを馳せることができました。
書くことは楽じゃないし簡単でもないけど、書いてきてよかった。
また週末を目処に更新します!頑張りまーす
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✳︎「湯灌(ゆかん)」
棺に入る前に納棺師がご遺体を入浴させたり、爪を切ったりして綺麗に清めること。
私も祖母の足を洗ったり、靴下を履かせたりした。